メジャーリーグにまつわる、ふと思い出す悲しい思い出は? ←「イチローの引退」「スト」(海外の反応)

・(投稿者)メジャーリーグにまつわる、ふと思い出す悲しい事実は?



・ダリル・カイル…。



・"ザ・フリーク"がエンゼル・スタジアムで最後の先発をするのを見ることができた。記憶が正しければ、かなり打ち込まれていた。球団売却を機に、投手がエンゼルスに来てキャリアを終わらせるだけのこの時代が終わってくれるといいのだが。



・レッドソックスのオーナー陣は"自分の商品でハイになるな"という格言を忘れていたようだ。



・1994年のストライキ。ルー・ゲーリッグがALSを発症したこと。そして地元実況者の存在がここまで重要視されるようになり、"うちのチームの言葉を話せないなら出て行け"とまで言われるようになったこと。



・彼より前に誰かが言っていたのかもしれないが、それが誰かは分からない。ライアン・スピルボーグスがバナナボールの試合出演後に語った言葉が、ずっと心に残っている。"自分が望む形で野球に別れを告げられる選手は、本当にごくわずかだ。"だからこそ、カーショーの最終戦やバーランダーの最終戦、そしておそらくシャーザーの最終戦も、より美しく感じられる。



・イチローが引退した時、自分は現役の全MLB選手より年上になっていて、それ以来ずっとそうだ。好きな選手に憧れてその選手のようになりたいと思っていた、あの子供の自分がいなくなってしまったような感覚だった。



・サーマン・マンソンが飛行機事故で亡くなったこと。マンソンとボビー・マーサーは自分の一番好きな選手だった。もう一つの悲しい記憶は、マーサーがボビー・ボンズとのトレードで放出されたことだ。マーサーがカブスにトレードされた時は嬉しかったし、ヤンキースに復帰した時は本当に嬉しかった。二人の冥福を祈る。


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・マリナーズ。



・1994年のエクスポズはリーグ最高の成績を残し、ワールドシリーズ優勝の大本命だった。しかし残り48試合を残して選手会がストライキに突入し、シーズン残りは中止になった。球団オーナーはチームを解体し、そこから10年に及ぶ低迷が始まり、最終的にフランチャイズはワシントンへ移転することになった。



・バック・オニールが2006年に殿堂入りできなかったこと。



・クリス・ブライアント。



・サチェル・ペイジは亡くなる日まで、ベーブ・ルースを三振に取ろうと挑む機会がなかったことが唯一のプロとしての心残りだと言っていた。



・マティングリーはヤンキースの優勝に、1年遅すぎたのと1年早すぎたので間に合わなかった。それがおそらく殿堂入りを阻んでいる。



・1883年、フィラデルフィア・フィリーズが創設された。



・ティムの投球フォームは不自然だった。ジャスティンの方がより一般的なフォームだった。ティムの体への負担が早期引退につながったのだと思う。



・ロン・サントが亡くなった後、次に資格を得たベテラン委員会の投票で殿堂入りしたこと。



・今プレーしている選手も、いつか必ず亡くなる。



・ブライアン・テイラーは1991年にヤンキースが指名した最後の全体1位指名選手だった。高校卒業後、マイナーで順調に成長し、王朝が花開く直前のヤンキースの生え抜きエースになると期待されていた。ところが93年のオフシーズンのある夜、兄弟とバーにいた際に兄弟が喧嘩に巻き込まれ、それを助けに入ったブライアンは肩にひどい怪我を負い、1994年シーズンを丸ごと棒に振った。95年に復帰した時には制球はすっかり崩れ、球速も時速5マイル以上落ちていた。2000年までに完全に野球界から姿を消し、メジャーのロースターに載ることは一度もなかった。怪我をする前の軌道を考えると、アンディ・ペティットと同時期にヤンキースに昇格していてもおかしくなかった。野球界屈指の"もしも"の一つだ。



・クリスチャン・イェーリッチとマーセル・オズーナは、ともにホセ・フェルナンデスのボートに同乗する誘いを断っていた。



・マイケル・モースは、ジャイアンツの投手がブライス・ハーパーに死球を与えた後、両チームの仲裁に入ろうと飛び出した。その際、味方選手が相手にパンチを見舞うのを止めようとして激しく衝突し、重い脳震盪を負って二度とプレーできなくなった。



・近くに応援するチームがないので、もう何年も試合を観に行けていない。とても寂しい。