松井秀喜ってヤンキースでどれくらい凄かったの?←「圧倒的に勝負強い打者だった」(海外の反応)

・(投稿者)松井秀喜は実際どれくらい凄かったんだろうか。お気に入りの選手の一人であるA-ロッドについて同じような投稿をしたんだけど、今度はもう一人のお気に入りである松井についても聞いてみようと思ったんだ。私は2009年に野球とヤンキースにハマったんだけど、あるアジア人がワールドシリーズで凄まじいバッティングを見せていたのを覚えている。アジア人がヤンキースでワールドシリーズMVPを獲ったことに、すごくインスピレーションを受けたし誇らしく感じた。親にねだって松井の背番号55のTシャツを買ってもらったこともある(残念ながらもう持っていないけど)。でも悲しいことに、その翌年の冬に彼はチームを去った。というか正確にはエンゼルスに追い出されるような形だった。松井の最高の瞬間を見ることはできたけど、当時はまだ幼すぎたし、ヤンキースにいた全期間を追うには明らかに若すぎたんだ。そこで質問がある。あの伝説の2009年ワールドシリーズとポストシーズン以外で、ピンストライプのユニフォームを着た瞬間から彼はどれくらい凄かったんだろう。彼が渡米した時、どれくらい盛り上がっていたのかな。争奪戦はあったんだろうか。彼はヤンキースとして何らかの栄誉や認められる権利(永久欠番や記念プレートなど)があると思うかな。そして全体的に見て、彼のヤンキース時代をどう評価している。



・彼は日本で10シーズンプレーした後、29歳でヤンキースに来たことを忘れないでほしい。日本での10年間の成績は圧倒的だった。1390安打、332本塁打、889打点、打率.304、長打率.582。アメリカに来る前には1250試合連続出場という記録も持っていた。引退後、彼は43歳という史上最年少の若さで日本野球殿堂入りを果たした。静かだけど、超勝負強かった。見ていて大好きな選手だったな。



・2003年ワールドシリーズ第2戦での勝利に貢献し、2004年ALDS第2戦のツインズ戦での打点も素晴らしかった。そして2009年。見ていて本当に楽しい選手だった。アジア人選手がロースターに入らない限り、ヤンキースは二度と何も勝てないと思う。



・期待されたほど本塁打数が伸びなかったと批判されていたのを覚えているけど、一方で二塁打を量産していたのも覚えている。レフトでのダイビングキャッチで腕を骨折し、アイアンマン記録が途切れてしまった時のことも。



・↑その骨折から復帰した最初の試合で、4打数4安打だったんだよな。ブランクなんて全く感じさせなかった。



・2009年にフィリーズの投手陣を相手に打率.647くらい打った彼と再契約しなかったのは、犯罪的だと思う。



・↑特に代わりに入れたのが、怪我ばかりで試合に出られなかったニック・ジョンソンだったからな。確か15試合くらいしか出ていないんじゃないかな。松井は全盛期を過ぎていたかもしれないけど、もう1シーズンいてもらった方が絶対に良かった。


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・プレーオフ通算56試合でOPS.933。まさに化け物だ。



・彼の入団会見はタイムズスクエアで行われたんだ。期待感の塊のような存在だった。イチローのことも覚えているけど、日本から来た野手の先駆けの一人で、他の連中はそこまで活躍しなかった。向こうではベーブ・ルースのような神がかり的な存在だったし、「ゴジラ」というニックネームもぴったりだ。実際に見ると想像より背が高いし、肩幅も広くて、頭も手もデカい。



・彼が来た時はとんでもない騒ぎだった。全盛期にメジャーへ来た日本人選手としては、イチロー以来のビッグネームだったから。松井は守備はせいぜい並だったし、最後はほとんど指名打者だったけど、彼と契約した時はワクワクしたし、あの時代のヤンキースで一番好きな選手の一人だった。正直、期待が大きすぎたから(大谷レベルの打者になると期待されていた)、そのすべてには応えられなかったかもしれない。でも出塁率が高く、適度なパワーと勝負強さを兼ね備えた非常に優れた打者で、当時のヤンキースのチーム哲学に完璧にフィットしていた。ゴジラは09年のプレーオフとワールドシリーズの活躍で永遠に愛されるだろうし、永久欠番には届かないまでも、そのすぐ下のレベルにはいると思う。



・そう、来る前は「日本のベーブ・ルース」として騒がれていたんだ。だから「ゴジラ」なんだよな。私の記憶が正しければ、日本での人気はイチローよりもずっと高かった。イチローの人気が日本で爆発したのはメジャーで新人王を獲ってからだけど、松井のアメリカ移籍ほど日本国内で盛り上がったものはなかった。



・ゴジラへの期待は凄まじかった。主に日本で打った本塁打をメジャーでも量産できるかってことに注目が集まっていたんだ。結局、新人の年は16本塁打だった(とはいえ106打点だったから、他の方法で点を稼いでいたんだけど)。チームで最高の選手というわけではなかったけど、チームの重要な一員だったし、09年のワールドシリーズは伝説的だった。我が家では今でも彼を温かく思い出している。



・ヤンキース史上、最も勝負強い選手の一人。



・2009年の私の誕生日に、松井は3本のホームランを打ってくれたんだ。



 ・彼はヤンキー・スタジアムでの最初の試合で満塁ホームランを打った。まさに伝説が生まれる瞬間だったな。



・↑はは、私はその試合を現地で見ていた。素晴らしい思い出だ。



・↑私もそこにいた。そして寒かった。



・↑同じく。



・↑すごく寒かったよな。



・それは最高だ。あんな素晴らしい試合に居合わせるなんて。ヤンキー・クラシックスで何度も再放送されていた。



・彼は勝負強かった。負けている時や同点の9回、負けられない試合ではいつも彼に回ってきてほしいと思っていた。



・現地にはいなかったけど、昨日のことのように覚えている。伝説的だ。



・あの満塁ホームランの時、自分がどこにいて誰と一緒にいたか正確に覚えている。



・彼は化け物だった。シェフィールドと彼は、時にはAロッドよりも恐れられていたし、それはすごいことだ。子供の頃、一番好きな選手の一人だった。選球眼が良くていつも冷静だった。得点圏で何度も勝負強いヒットを打ってくれた。レフトの守備もまずまずだったけど、肩は弱かったな。



・弱肩だったけど、カットマンへの送球はいつも正確だった。



・2003年に松井がヤンキースに加入した時は、間違いなく大きな期待が寄せられていた。メジャーに来る前のシーズンに50本塁打を打っていたから。そこまでのパワーには届かなかったけど、万能な素晴らしい打者だった。常に安定していて勝負強かった。守備は平均以下だったけど、プレーをこなすだけのスピードはあった。モニュメント・パークにプレートを飾る価値はあると思う。彼とAロッドがいなければ、2009年の優勝はなかった。



・松井は03年に来たばかりなのに、黄金時代からずっといたような感じがした。それくらいチームに馴染んでいた。



・ヤンキースの下部組織出身ではないけれど、単にヤンキーになるために生まれてきたような男たちがいる。彼、ポーリー、リゾの3人は、違う世代だけどチームに加わった瞬間から居場所があるように感じられた。



・パワーはそこまでなかったけど、二塁打のマシンだったな。



・彼が弾丸ライナーを打つたびに流れるチャイムとゴジラの鳴き声は、永遠に鳥肌が立つ。



・チャンスの場面で彼に回ってくるといつも安心感があった。彼が期待以上の打者になってくれるという希望が常にあった。2005年あたりに大ブレイクするんじゃないかと思っていたけど、完全にはそうならなかった。見ていて楽しい選手だったし、2009年以降に去ってしまった時は悲しかった。



・史上最大の新人王泥棒の一つだ。



・松井がワールドシリーズMVPを獲るまでは、そのことに腹を立てていた。アンヘル・ベローアは、通算bWAR1.0と一緒に新人王のタイトルを持ってればいいさ。



・松井は大好きだけど、あれは泥棒とまでは言えないと思う。彼はア・リーグの新人WARで5位だった。OPSもベローアとほぼ同じだったし、テシェイラやジョディ・ゲルートの方が高かった。Retrospectiveに守備を含めると、ベローアは平均以上のショートで、松井は平均を大きく下回る外野手だったしな。



・↑反対。ベローアはダメで松井は最高だった。だから彼は盗まれたんだ。



・↑まさにこれこそヤンキースファンの考え方だな。



・松井のことは愛しているけど、実際にスタッツを見るとマンデラ効果みたいに感じることもある。日本からのベテランだから獲れなかったんだとずっと思っていたけど、今同じ基準で投票したらベローアが勝つだろう。



・足は速くなかったけど、良い守備だった。決して素晴らしいわけじゃないけど、すごく頭が良かったからうまく守っていた。



・↑DRSなどのデータを見ると、彼は決して良い野手ではなかったと言わざるを得ない。通算でマイナス27だ。



・↑守備指標はあまり好きじゃないけど、データがそう言うなら私の目が嘘をついていたのかも。でも彼はやるべきプレーを確実にこなしていた。ヤンキー・スタジアムのレフトをしっかり守っていたんだ。