・1960年代から1990年代くらいまでの30年くらい、日本の選手は日本に残るようかなり強く促されていたし、NPBとMLBの間で日本から選手を取るためのきちんとした合意もなかったから、そもそも「アメリカに行く」という選択肢自体がほとんど考えられてなかったんだと思う。野茂英雄が初めてその流れを破ったけど、その時は大騒ぎになったしね。あと、王は日本でレジェンドとしてやってることに満足してたんじゃないかな。日本の外でプレーしたいって話をしたことはなかったと思う。
・自分は王のことを「幸せそうな人だな」と思ったことはあまりないなあ。監督とかアンバサダーとしての姿を見てると、ちょっと嫌なやつっぽく見える時もあるけど、まあ外から見てるだけだから何とも言えないけどね。
・「お前らには一生分からない俺の一面がある。 そして俺は王貞治よりヒットを打ってる。」
・↑自分が王を知ったのはまさにその歌詞からだよ。
・彼がプレーしていた頃は、まだポスティングシステムが存在しなかった。90年代半ばまで、日本人選手がアメリカに渡るなんてこと自体がほぼなかったんだ。60年代半ばの村上雅則をめぐる契約トラブルのあと、NPBは大体30年くらい「うちの選手に手を出すな」というスタンスを取っていた。
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・イチローが初めて成功した打者だよ。その時点では、そういうこと(日本人打者がメジャーで活躍する)が「当たり前」にはなってなかった。
・松井秀喜が来た時でさえ、「イチローは全くの例外で、松井みたいなパワーヒッターは絶対通用しない」って言ってる人たちがいたのを覚えてる。松井も最初の2カ月くらいはかなりひどかったから、その時点で「バスト認定」してた人も多かった。
・ゴジラはマジで好き。
・村上についての語られ方を見てみろよ。「NPBの打者はMLBに適応できない」って感覚は、完全に消えたわけじゃないと思う。俺はスカウトでもないし、スイングを見て「この選手はメジャーで成功する」とか全然判断できない。でも数字と、今まで読んだものを踏まえると、村上は(大谷を除けば)松井以来最高クラスの日本人打者のプロスペクトだと思うんだよね。それなのに、彼のスレが立つたびに、なぜか「どうせバストになる」って決めつけるコメントばかりなんだ。
・↑「松井以来の逸材」って評価に対してだけど、いろいろ要因が混ざってると思う。過大評価されすぎて、逆に過小評価され始めたって面もあるし、吉田の苦戦もあるし、そもそもみんなNPBを断片的にしか追ってないから、村上が今年どれだけエグい活躍をしてるかをちゃんと知らない。佐々木についても同じで、「すごいらしい」くらいは知ってるけど、彼のウリがストレートで、その球速がここ数年落ちてるとか、そういう細かいところまで追ってない人が多い。
・松井のパワーですら完全にMLB仕様に「そのまま」移植できたわけじゃないしね。NPBの最後の5年くらいはシーズン平均ほぼ40本打ってたのに、MLBでは平均17.5本だったわけだし。
・イチローは、そもそも「最初にメジャーに来た日本人打者」だったからね。 2001年まで、日本人のポジションプレイヤーは一人もメジャーでプレーしてなかったんだ。
・一応調べてみたけど、そう、メッツのレジェンド(?)新庄剛志のちょうど1日前にデビューしてた。
・↑新庄は足をあまり鍛えなかったって聞いたことがある。理由は「足を鍛えるとジーンズ姿がカッコ悪くなるから」。日本の野球バラエティ番組でそんな話をしてて笑った。 追記:さっき調べたら本当にそう書いてあった。 もしちゃんと足も鍛えてたら、もっと長打力があったかもしれないのにな。
・イチローは契約したのも新庄より12日早いんだよな。
・90年代に野茂の前にアメリカに来た日本人選手は、実は一人だけいて、村上雅則だ。60年代に54試合登板して、そのあと日本に戻った。
・↑で、その村上を巡って日本とアメリカ両方のチームが「うちに権利がある」と主張して大揉めしたせいで、1960年代から1998年くらいまで、日本の選手がMLBでプレーすることにほぼ事実上の禁止令みたいなのが敷かれた。日本は自国の選手を守りたかったんだよ。 どこかで聞いたことがあるかもしれないけど、ドジャースは1994年に野茂を獲得するための抜け道を見つけて、それを他球団もやり始めた結果、その状態は崩れていった。
・抜け道を見つけたのは野茂で、90年代に起きた3つのケースが合わさって、ポスティングシステムが作られることになった。野茂に加えて、伊良部秀輝、そして信じるかどうかは別としてアルフォンソ・ソリアーノだ。
・ソリアーノはドミニカ共和国出身で、広島東洋カープと契約して有望株になってたんだけど、日本でプレーするのが嫌で、野茂や伊良部と同じ代理人を雇って契約から抜け出したんだよ。そのあと、ニューヨークで日本料理店に行って、日本語で注文できるのをドヤ顔で見せるのが好きだったって話を読んだことがある。
・抜け道を見つけたのは野茂自身だよ。NPBを事実上「引退」することで、ドジャースと契約できるようにした。
・抜け道を見つけたのはドジャースじゃなくて、野茂と代理人のドン・野村だ。ドジャースは単に、村上以来初めてアメリカでプレーする日本人選手に賭けてみた最初の球団ってだけ。
・王が親に「メジャーに行っていい?」って聞いたら、「サダハル、ノー!」って言われたんだよ。
・↑これはマジで笑った。
・1964年のジャイアンツと村上のゴタゴタのあと、事実上、日本から選手が渡米するのはほぼ禁止状態になった。その間にも、アメリカで通用しただろう選手はたくさんいたはずだ。王、江夏、金田、張本、野村、長嶋とかね。彼らをメジャーで見られなかったのは本当に残念だと思う。
