幾月 (Ikuzuki) 身長: 2.27メートル (7フィート5インチ) 部屋: 玉垣 出身地: 長崎, 日本 デビュー: 1844年10月 最高位: 前頭7枚目
大空 (Ozora) 身長: 2.27メートル (7フィート5インチ) 部屋: 勝浦 出身地: 熊本, 日本 デビュー: 1827年3月 最高位: 前頭7枚目 竜門 (Ryumon) 身長: 2.26メートル (7フィート5インチ) 部屋: 陣幕 出身地: 山口, 日本 デビュー: 1828年10月 最高位: 前頭7枚目
釋ヶ岳 (Shakagatake) 身長: 2.23メートル (7フィート4インチ) 部屋: 雷電 出身地: 島根, 日本 デビュー: 1770年11月 最高位: 大関
白登山 (Hakutozan) 身長: 2.17メートル (7フィート2インチ) 部屋: 高砂 出身地: 清州, 韓国 デビュー: 1927年10月 最高位: 三段目 不動岩 (Fudoiwa) 身長: 2.13メートル (7フィート0インチ) 部屋: 時津風 出身地: 熊本, 日本 デビュー: 1940年1月 最高位: 関脇
武蔵潟 (Musashigata) 身長: 2.09メートル (6フィート10インチ) 部屋: 君ヶ浜 出身地: 神奈川, 日本 デビュー: 1863年11月 最高位: 関脇
白眉美 (Shiramayumi) 身長: 2.08メートル (6フィート10インチ) 部屋: 浦風 出身地: 岐阜, 日本 デビュー: 1853年11月 最高位: 前頭1枚目
出羽岳 (Dewagatake) 身長: 2.05メートル (6フィート9インチ) 部屋: 出羽海 出身地: 山形, 日本 デビュー: 1917年5月 最高位: 関脇
江島潟 (Eshimagata) 身長: 2.06メートル (6フィート9インチ) 出身地: 徳島, 日本 デビュー: 1778年3月 最高位: 大関
雲竜 (Kumonryu) 身長: 2.06メートル (6フィート9インチ) 部屋: 常陸山 出身地: 新潟, 日本 デビュー: 1787年11月 最高位: 大関
曙 (Akebono) 身長: 2.04メートル (6フィート8インチ) 部屋: 東関 出身地: ハワイ, アメリカ合衆国 デビュー: 1988年3月 最高位: 横綱
北青鵬 (Hokuseiho) 身長: 2.04メートル (6フィート8インチ) 部屋: 宮城野 出身地: 北海道, 日本 デビュー: 2020年3月 最高位: 前頭6枚目
琴欧州 (Kotooshu) 身長: 2.04メートル (6フィート8インチ) 部屋: 佐渡ヶ嶽 出身地: ベリコ・タルノヴォ, ブルガリア デビュー: 2002年11月 最高位: 大関
・この数字のいくつかは信じられないね。
・正直、トップ3~5位の選手たちはあまり信じられないな…1900年以前の力士ばかりが一番高いってのは変だし、どこからその数字が来たのかも怪しい。NBAみたいに皆が少し高めにサバを読んでるかもしれない。
・曙が最初に信じられる力士だと思う。
・この数字は明らかに誇張されてて、正確じゃないよね。
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・白鳳山や不動岩がそのくらいの身長でも驚かないよ。明らかに巨人症みたいな病気を抱えてたんだろうし、治療しなければ成長が止まらないケースもあるからね。だから、その身長は大会で最後に記録されたものかもしれない。
・先端巨大症や下垂体の肥大症によるものだろう。今ではそういった病気が治療されるから、昔のような高身長の力士はあまり見られなくなったよね。ギネス記録の2m72cmの人も22歳で亡くなってるし。
・彼らが高身長だったことは疑わないけど、問題はその測定が正確かどうかと、PR要素が入ってないかどうかだよね。
・よくこういうコメントを見るけど、ヤードは1445年から使われているし、メートルは1791年からだし、日本では1891年からメートル法を採用している。以前は尺(約1/3メートル)が使われていて、それは刀を作るときにも使われていたから、日本人はかなり正確だったと思う。
・30年以内に3人が全く同じ身長で記録されてるのは、かなり怪しいよね。たぶん、誰かが「7尺半の力士」として名を上げたんだろう。その数字が本当かどうかは別として、その時代の背の高い力士はみんな自分の身長を7尺半に揃えたんじゃないか。
・その時代に正確な測定ができなかったという主張も分かるけど、ちょっとおかしいと思わない?でも、昔の方が今よりも「奇妙な体格」をした人が多かったのは確かだと思うよ、特に身長に関しては。
・北青鵬は見るのが楽しかった。彼を「力の塔」って呼んでたんだ。性格はどうか知らないけど、ただ相手にのしかかって戦う様子は見ごたえがあったよ。
・「楽しい」?彼の戦い方は一番つまらないスタイルだったよ。
・彼を「毛布」って呼んでたよ。相手にのしかかって、ただ待ってるだけだったからね。
・俺にとって唯一の「力の塔」は貴ノ浪だよ。
・いくつかの古い測定には疑問を感じるよ。
・ボクシングでも同じだね。ヘビー級の選手はよく身長を誇張する。マイク・タイソンは実際には5フィート11(約180cm)じゃなかったし、タイソン・フューリーも6フィート9(約206cm)なんかないよ。
・もし彼が5フィート11インチ半(180cmちょっと)だったら、絶対に「6フィート(183cm)」って嘘ついてたよな。
・彼は全盛期には5フィート10インチ(約178cm)だったと思うよ。「6フィート」なんて言ったら笑われただろうね。でも、なぜ誰かが「5フィート11半」なんて微妙な数字を作るんだ?って感じだよね。
・明石志賀之助の悪口はやめてくれ。彼は8.5フィート(約259cm)、体重750ポンド(約340kg)だったんだぞ!1624年の大飢饉は、彼が一晩で一季分の米を食い尽くしたのが原因だって言われてるんだからな。
・元琴欧洲の鳴戸親方って6フィート8インチ(約203cm)じゃなかった?彼は他の審判たちよりずっと大きいよね。
・そうだよ、彼は6フィート8インチ(203cm)。曙や元北青鵬と同じ身長だよ。なんでこれがダウンボートされてるんだ?ただ質問に答えただけなのに…。
・あの数字はすごいよね、特に当時の平均身長が5フィート3インチ(約160cm)から5フィート7インチ(約170cm)だったことを考えるとね。もし6フィート5インチ(約195cm)くらいだったら、もっと現実的に感じられたんじゃないかな。
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